【人類を魅了】スパイスとの出会いと旅路

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スパイスのはじまり

 人類がスパイスと出会ったのは、いつの時代のことでしょうか。祖先は2足歩行をはじめて間もないころから、野に生える植物を摘んでは口にしていました。時には毒のあるものを口にして、痛ましい犠牲がでることもあったでしょう。それでも勇気ある祖先たちは、さまざまな植物の味と効果を身をもって確かめてくれました。そのお陰で、今日スパイスと呼ばれる香りのよい植物が、はるかな時の流れを越えて現代に伝えられました。

 地中海のサルジニア島には、自生するローズマリーやオレガノの枝々が、数千年も前から芳香を漂わせています。この地に暮らした人々が、狩りでとらえた動物の肉を偶然これらのスパイスで包んだとしても不思議ではありません。そのまま放置しておけば、きっと2~3日で腐ってしまう肉が、不思議な植物の作用によって保存性と食欲のそそられる香りがつき、より美味しく食べられることがわかりました。冷蔵庫などむろんなかった時代のこと、たき火を囲む人々の顔には喜びの表情が浮かんだことでしょう。獲物が少ない時期に、いくつもの集落が飢餓から救われたかもしれません。

 古代エジプトの地はまさにスパイスの先進地でした。王族の権威を誇示する巨大ピラミッドに納められた貴人の遺体は、遠くアジアから運ばれたクミンやクローブなどのスパイスが詰められ、ミイラとなりました。亡くなった人の霊魂は復活すると信じられていたため、肉体が再び活動できるように、スパイスの力を借りて防腐処置がとられていました。

 その一方で、生きている人々に対しては、即効性のあるスパイスが盛んに使われました。ピラミッドの建設には何万人もの奴隷の労働力が投下されましたが、奴隷の疲労を回復させるためにニンニクやオニオンを大量に使用した食事が与えられたようです。ほかにどのような原材料が使われたかは不明ですが、ニンニクとオニオンが入れば、たいていそれなりの味に仕上がります。

 医学と呪術の境界があいまいであった古代エジプトから、ギリシャローマ時代になると、薬用としての植物研究が盛んになります。ヒポクラテスといった医学の祖によって編纂された植物事典は、長い間西洋医学の基礎となりました。

 しかし、スパイスの魔力は学問の対象にとどまらず、人々の贅沢心も煽り立てました。2000年以上も昔、ギリシャの裕福な植民都市シバリスでは、夜ごとの宴にスパイスやワインをブレンドしたソースを使用した料理が供されていました。見事なソースをつくった料理人には手厚い褒美が与えられたようです。一度スパイスの味と香りの虜になったシリバス人は、戦争によって廃墟となる直前まで、味覚の贅を尽くし続けました。シリバスは滅びても、スパイスは現代に至るまで、新しい味や珍しい風味を求める人間の欲望をかきたて続けます。それゆえに、あたかもひとつまみのスパイスが料理の運命を定めるかのごとく、時に世界の歴史は大きく変動しました。

金銀と同じ価値を持つスパイス

 ユーラシア大陸を横断し、あまたの交易品や金銀財宝を運んだのはシルクロードです。この道はまた、スパイスロードともいうべき役割を担っていました。

 当時珍重されたスパイスは、スパイスアイランドといわれたインドネシアのモルッカ諸島やセレベス島のクローブやナツメグ、ペッパーなど東洋を原産とするものです。これらのスパイスは海路マラッカ海峡を渡り、インドへと運ばれました。ここでセイロンのシナモンやインドのペッパー、カルダモンと合流し、はるばる地中海へと運ばれました。

 現在のインドからアフガニスタン、イラクを経由し、アラビア半島を横切って紅海を渡る長い旅路は、西を目指すシルクロードです。砂漠や険しい山脈を抜け、時には盗賊におびえながら、片道2年もかかる過酷な道中です。そのため、当時のスパイスがヨーロッパに渡ると、原産地の1000~2000倍の値がつきました。同じ重さの金銀よりも価値があったという話は、まんざら誇張ではないようです。

 このスパイスの交易で、最も大きな利益を上げていたのはアラビアの商人たちです。交易路の中間に位置するアラビア半島には、ヨーロッパに渡るすべてのスパイスが集まったため、紀元前後から中世に至るまで、スパイスの貿易を独占していました。その様子は、アラビア半島に世界中の富が集まるといわれていたほどです。この莫大な利益を独占するため、アラビアの商人たちは原産地の秘密を守り抜こうと知恵を絞り、原産地に住む怪物などの作り話を流布しました。

 一度インドに集められたスパイスには、東を目指したものもありました。シルクロードの一方の終点である日本には、聖武天皇の時代にすでにスパイスが伝えられています。正倉院には、1000年以上も前に海を渡ってきたペッパーやクローブ、シナモンが保管されています。

 当時の東アジアでは、スパイスは味覚の楽しみを増進させる香辛料ではなく、もっぱら薬と考えられていたようです。中国の南方で発達した漢方医学では、ペッパーやフェンネル、キャラウェイ、シナモン、クローブ、ナツメグ、ニンニクなど今の時代でもおなじみのスパイスが、薬種として使われていました。正倉院に残されているスパイスも、貴重な薬として渡来したものかもしれません。

まとめ

 祖先は2足歩行をはじめて間もないころから、野に生える植物を摘んでは口にしていました。勇気ある祖先たちは、さまざまな植物の味と効果を身をもって確かめてくれました。そのお陰で、今日スパイスと呼ばれる香りのよい植物が、はるかな時の流れを越えて現代に伝えられました。

 ユーラシア大陸を横断し、あまたの交易品や金銀財宝を運んだのはシルクロードです。この道はまた、スパイスロードともいうべき役割を担っていました。現在のインドからアフガニスタン、イラクを経由し、アラビア半島を横切って紅海を渡る長い旅路は、西を目指すシルクロードです。片道2年もかかる過酷な道中です。そのため、当時のスパイスがヨーロッパに渡ると、原産地の1000~2000倍の値がつきました。同じ重さの金銀よりも価値があったという話は、まんざら誇張ではないようです。

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