【意外にグルメ】酒の肴の歴史

食品
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酒造りの始まりと酒の肴

 弥生時代になって稲作が大陸から朝鮮を経由して北九州に伝わりました。それとともに米を原材料としたお酒が造られるようになりました。この頃のお酒は、どぶろくのようなものでした。

 飛鳥時代になると製法が進歩し、もろみをろ過した濁り酒となりました。日本酒造りが確立したのは、奈良から平安時代にかけてです。庶民が飲むのは濁り酒でしたが、貴族が特別なときに味わったのが澄み酒という濁り酒の上澄みを漉したものや木炭を入れて漉した黒酒を飲んでいました。

 酒の肴として万葉集に記されているのは、獣肉や魚を刻んで酢につけたなますや魚の肝を塩漬けにした塩辛の一種、干しアワビ、イカ、タコ、山菜などです。

塩辛

 日本の塩辛の歴史は、平安時代の「ししびしほ」から始まります。室町時代には「なしもの」と呼ばれ、塩辛の名前となったのは江戸時代初期のことと伝えられています。

 現在の塩辛の原材料はイカの肝が一般的で、その他にカツオの内臓を使った酒盗、サケの背腸を使ったメフン、なまこの腸を使ったコノワタ、アユの腸を使ったウルカなどがあります。有名なところでは、高知の酒盗、福井のウニ、富山のイカの墨造り、新潟のタイの子の塩辛、大分の切込みウルカなどです。ちなみに酒盗の名前は、酒を盗んでも飲みたくなるといったことから名付けられました。

居酒屋の始まり

 サラリーマンが仕事帰りに一杯飲みたくなるのが居酒屋です。このような居酒屋はいつ頃登場したのでしょうか。

 江戸時代には、京都で食事が中心の大衆的な飲食店登場し始めます。この中で、酒も飲ませる店も出てきました。店の中で酒を飲ませることを「居酒させる」と言いました。その中から、酒の肴を専門とするお店である居酒屋が現れましたが、この時代はまだこの名前は使われていません。

 江戸では、酒屋の店先で酒を飲ませ、簡単な肴を出すようになりました。今でいうところの立ち飲みです。これが江戸の居酒屋のルーツのようです。それが、居酒屋と呼ばれるようになったのは、江戸時代後期です。このようなお店は、入り口に縄のれんを掛けていることが多かったことから、縄暖簾の名前でも呼ばれていました。

 当時の人気メニューは豆腐です。冷奴や湯豆腐以外に青唐辛子やのり、陳皮などをかけて食べていました。

 枝豆もありました。この時代は、江戸のみならず京都や大阪でも食べ物を売り歩く商売が盛んでした。その中で、茹でた枝豆を専門に売る商売もありました。その売り方には、関東と関西で違いがあります。関東では、枝豆をその名の通り枝付きのままで売っていました。そのため枝豆と呼ばれます。一方、関西では枝を取り去って売っていたことから、鞘豆と呼ばれていました。

焼き鳥

 江戸時代は、さまざまな鳥を原材料として、焼き鳥を提供していました。しかし、現在のようにほとんどが鶏という状況ではありません。全てが狩りなどで獲った野鳥です。焼き鳥はおもてなし料理や酒の肴、弁当などに幅広く使用されました。

 ただし、現在のように串に刺したまま出すことなかったようです。当時は、串に刺したまま出すことは、無作法と考えられていました。そのため、出す前に串は外していたと考えられています。

 現在でこそ、焼き鳥といえば庶民の酒の肴の代表ともいえる料理ですが、昭和初期までは高級料理でした。

 焼き鳥にかけるものとしては、真っ先に思いつくのが七味唐辛子です。七味は唐辛子に加えて、黒ゴマや陳皮など7種類の香辛料が調合されているので、複雑な風味を楽しむことができます。そうしたことから、タレとの相性がよく、また脂っこさを抑える働きもあります。というわけで、皮やこってりしたつくねなどにぴったりです。一味は唐辛子のみなので、シンプルな辛さが特徴です。辛さを求める人向けで、タレの甘さが気になる人にもこの薬味が最適です。山椒はその独特なすっきりとした風味が、脂っこさを抑えたり、生臭さを消す効果があります。レバーなどに向いています。

 焼き鳥の調理によく使われるのは炭です。なかでも、もっとも有名で良質とされているのが、備長炭です。その製法は、一説によると弘法大師が唐から持ち帰り、高野山に金剛峯寺を開く際に、紀州の各地に伝えたといわれています。炭の原木として、ウバメガシという木が最高級ですが、奇しくも紀州の山々にはこの木が多く、これを利用して質の高い炭がつくられました。製法は他の地域にも伝えられましたが、原木供給が紀州ほど豊かではなかったことから、紀州産の備長炭が炭の質、生産量とともに日本一を誇っています。なお、現在の備長炭の主要産地は、和歌山の紀州備長炭はもちろんのこと、宮崎の日向備長炭、高知の土佐備長炭で、これらが備長炭の3大銘柄となっています。

まとめ

 弥生時代になって稲作が大陸から朝鮮を経由して北九州に伝わりました。それとともに米を原材料としたお酒が造られるようになりました。この頃のお酒は、どぶろくのようなものでした。飛鳥時代になると製法が進歩し、もろみをろ過した濁り酒となりました。日本酒造りが確立したのは、奈良から平安時代にかけてです。酒の肴として万葉集に記されているのは、獣肉や魚を刻んで酢につけたなますや魚の肝を塩漬けにした塩辛の一種、干しアワビ、イカ、タコ、山菜などです。

 日本の塩辛の歴史は、平安時代の「ししびしほ」から始まります。室町時代には「なしもの」と呼ばれ、塩辛の名前となったのは江戸時代初期のことと伝えられています。

 江戸では、酒屋の店先で酒を飲ませ、簡単な肴を出すようになりました。今でいうところの立ち飲みです。これが江戸の居酒屋のルーツのようです。それが、居酒屋と呼ばれるようになったのは、江戸時代後期です。当時の人気メニューは豆腐です。

 江戸時代は、さまざまな鳥を原材料として、焼き鳥を提供していました。しかし、現在のようにほとんどが鶏という状況ではありません。全てが狩りなどで獲った野鳥です。現在でこそ、焼き鳥といえば庶民の酒の肴の代表ともいえる料理ですが、昭和初期までは高級料理でした。

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