満漢全席は、清朝の美食家であった乾隆帝の時代から始まったとされている豪華な宴会様式です。この宴会料理は、満州族の料理と漢族の料理で構成されています。
宴会料理の満漢全席は、出し物を見ながら、数日間をかけて、料理からデザートまで合わせて、1人100~160品、少なくとも30品以上の料理を順番に食べるという形式で行われていたようです。しかし、清朝が滅亡することで、宮廷料理人がいなくなり、料理自体が途絶えてしまったとされています。
満漢全席は、最初に満州料理、次に漢民族の料理が提供されるとういう順番が定められています。満州料理は、直火であぶり焼く方法など4種類の料理法で、豚あるいは羊の各部位が調理され、30品以上の料理に仕上げられます。また、料理だけでなく、満州料理の時には調度品、用具、服装までも満州様式のものを身に着け、満州の作法に則って食べます。漢族の料理に移るときは、漢民族の風習に従って行われることになるため、調度品などが大きく変わり、服装も着替え、満州様式よりも格式ばった感じになります。
満漢全席は、短くても3時間、長いと5~6時間もかかります。これが3日以上にわたって延々と繰り広げられます。そのため、用事のある場合には、席をはずすこと、途中で帰ることも問われません。合間に休憩をはさみ、観劇、詩、お酒を飲む遊戯、壺に矢を投げ入れて競う遊戯、双六、囲碁に興じることになります。
満漢全席の正式名称は、満漢燕翅焼烤全席と言います。メインは、満漢燕翅焼烤全席という正式名称が示すように、満漢全席の中で欠かすことができない代表的な料理が供されます。その料理は、ツバメの巣、フカヒレ、豚の丸焼き、熊の掌、鹿の尾、ラクダのコブなど珍味とされるものばかりです。前菜が出された後、つばめの巣の料理、フカヒレの料理、豚の丸焼きという順で出されることになります。さらに点心、アヒルの丸焼き、ラクダのコブなどを用いた煮物が食卓に並びます。終わりには、魚の料理、スープ、お粥が順に供されます。
このようにツバメ、フカヒレ、豚の丸焼きをすべて含んでおり、満族形式と漢族形式を融合させた料理こそが、正式な満漢全席です。
清王朝の崩壊後、宮廷料理の満漢全席は途絶えてしまいましたが、現代において、このような食文化が見直され、その復元が進んでいます。日本でもいくつかの中国料理店で、イベントなどで満漢全席を再現しており、食べることができるようです。
満漢全席を食べていた時代や中国料理の歴史を振り返りながら、かつての清朝の栄華を味わってみてはいかがでしょうか。
満漢全席(まんかんぜんせき)
満漢全席は、清朝の美食家であった乾隆帝の時代から始まったとされている豪華な宴会様式です。
この宴会料理は、満州族の料理と漢族の料理で構成されています。すなわち、満漢全席の満とは、満族の住む満州地方の料理のことで、漢とは、漢民族の住む華北、華中、華南の料理のことを表しています。
宴会料理の満漢全席は、出し物を見ながら、数日間をかけて、料理からデザートまで合わせて、1人100~160品、少なくとも30品以上の料理を順番に食べるという形式で行われていたようです。しかし、清朝が滅亡することで、宮廷料理人がいなくなり、料理自体が途絶えてしまったとされています。
満漢全席の形式
満漢全席は、最初に満州料理、次に漢民族の料理が提供されるとういう順番が定められています。
最初の満州料理は、体裁にはあまりこだわらない料理が多い傾向です。この時代の清朝の支配層は満州族で、元々は遊牧により、牛や羊の肉類をよく食べていました。満州族が北京に移住したことで、食習慣は主に山東料理の影響を受けることになります。また、生活水準の向上もあり、特に肉料理は洗練され、満州形式の料理は、全猪席、全羊席と呼ばれる豪華な料理へと変わっていきました。
全猪席と全羊席は、直火であぶり焼く方法、肉を火であぶって焦げ目をつける方法、味をつけずに原材料本来の自然の色に仕上げる方法、湯の中で煮る方法の4種類の料理法を用いて提供されます。
こうした料理法により、1頭の豚あるいは羊の各部位を調理し、30品以上の料理に仕上げられ、こうした料理が満州料理と呼ばれます。また、料理だけでなく、満州料理の時には調度品、用具、服装までも満州様式のものを身に着け、満州の作法に則って食べます。
漢族の料理に移るときは、漢民族の風習に従って行われることになるため、調度品などが大きく変わります。服装も着替えることになり、満州様式よりも格式ばった感じになります。
満漢全席は、短くても3時間、長いと5~6時間もかかります。これが3日以上にわたって延々と繰り広げられます。そのため、用事のある場合には、席をはずすこと、途中で帰ることも問われません。
満漢全席では、合間に休憩をはさみ、観劇、詩、お酒を飲む遊戯、壺に矢を投げ入れて競う遊戯、双六、囲碁に興じることになります。
満漢全席の料理内容
満漢全席の正式名称は、満漢燕翅焼烤全席と言います。満漢全席の料理が始まった由来に関しては、諸説存在しており定まってはいません。
満漢全席1日のメニュー構成は、前菜8品、大皿6品、小皿6品、碗4品、季節に応じた点心、デザート4品、新鮮な果物と乾燥させた果物を各4品ずつ、そのほかに茶が2種類以上となります。
席に着くと卓上には食器が準備され、あらかじめそこには切り花と共にスイカやかぼちゃの種を干したものなどが供されています。主人は酒壺を持ち、主賓にお酒をすすめて注ぎます。それから全員に着席を求め、ほかの人へもお酒をすすめます。お酒が行き渡ったところで冷たい前菜が供され、この冷菜を食べ終えた頃に温かい前菜が供されます。このときに、スイカやかぼちゃの種を干したものなどと花が下げられます。
ここからがメインとなり、満漢燕翅焼烤全席という正式名称が示すように、満漢全席の中で欠かすことができない代表的な料理が供されます。その料理は、ツバメの巣、フカヒレ、豚の丸焼き、熊の掌、鹿の尾、ラクダのコブなど珍味とされるものばかりです。
前菜が出された後、つばめの巣の料理、フカヒレの料理、豚の丸焼きという順で出されることになります。豚の丸焼きを食べる頃に宴が最高潮となり、お酒も白酒に代えられ、主人は再びお酒をすすめます。
さらに点心が出されて、その後にアヒルの丸焼きやラクダのコブなどを用いた煮物が食卓に並びます。終わり頃には、魚の料理、スープ、お粥が順に供されます。
このようにツバメ、フカヒレ、豚の丸焼きが必ず入ります。これらをすべて含んでおり、満族形式と漢族形式を融合させた料理こそが、正式な満漢全席です。
八珍
昔から中国には、八珍と呼ばれるさまざまな珍味が定められていました。この八珍に含まれる食材は、時代と共に変化していますが、清の時代は、八珍をさらに拡張し、四八珍を定めて満漢全席に含めています。
四八珍とは、山八珍、海八珍、禽八珍、草八珍からなる四つの八珍で構成されていて、八珍が四つとなるので合計で32種類となります。
山八珍 は、ラクダのコブ、熊の掌 、サルの脳みそ、オランウータンの唇、ゾウの鼻先、ヒョウの胎子、サイのペニス、シカのアキレス腱です。
海八珍 は、ツバメの巣、フカヒレ、ナマコ、魚の浮き袋、チョウザメの軟骨、アワビ、アザラシ、 オオサンショウウオです。
禽八珍は、ウズラ、ハクチョウ、シャコ、クジャク、キジバトなどです。
草八珍 は、ヤマブシタケ、白キクラゲ、キヌガサタケ、アミガサダケ、シイタケなどです。
日本で食べられる満漢全席
清王朝の崩壊後、宮廷料理の満漢全席は途絶えてしまいました。しかし、現代において、このような食文化が見直され、その復元が進んでいます。
日本でもいくつかの中国料理店で、イベントなどで満漢全席を再現しており、食べることができるようです。ある中国宮廷料理店でのイベントでは、通常100種類以上もある料理を40種類に厳選し、提供しています。代表的なメニューのひとつである熊の掌は、獣臭がなく、トロトロに煮込まれており、口の中にうま味が広がって、これだけでも食べる価値があります。
満漢全席を食べていた時代や中国料理の歴史を振り返りながら、かつての清朝の栄華を味わってみてはいかがでしょうか。
まとめ
満漢全席は、清朝の美食家であった乾隆帝の時代から始まったとされている豪華な宴会様式です。この宴会料理は、満州族の料理と漢族の料理で構成されています。
宴会料理の満漢全席は、出し物を見ながら、数日間をかけて、料理からデザートまで合わせて、1人100~160品、少なくとも30品以上の料理を順番に食べるという形式で行われていたようです。しかし、清朝が滅亡することで、宮廷料理人がいなくなり、料理自体が途絶えてしまったとされています。
満漢全席は、最初に満州料理、次に漢民族の料理が提供されるとういう順番が定められています。満州料理は、直火であぶり焼く方法など4種類の料理法で、豚あるいは羊の各部位が調理され、30品以上の料理に仕上げられます。また、料理だけでなく、満州料理の時には調度品、用具、服装までも満州様式のものを身に着け、満州の作法に則って食べます。漢族の料理に移るときは、漢民族の風習に従って行われることになるため、調度品などが大きく変わり、服装も着替え、満州様式よりも格式ばった感じになります。
満漢全席は、短くても3時間、長いと5~6時間もかかります。これが3日以上にわたって延々と繰り広げられます。そのため、用事のある場合には、席をはずすこと、途中で帰ることも問われません。合間に休憩をはさみ、観劇、詩、お酒を飲む遊戯、壺に矢を投げ入れて競う遊戯、双六、囲碁に興じることになります。
満漢全席の正式名称は、満漢燕翅焼烤全席と言います。メインは、満漢燕翅焼烤全席という正式名称が示すように、満漢全席の中で欠かすことができない代表的な料理が供されます。その料理は、ツバメの巣、フカヒレ、豚の丸焼き、熊の掌、鹿の尾、ラクダのコブなど珍味とされるものばかりです。前菜が出された後、つばめの巣の料理、フカヒレの料理、豚の丸焼きという順で出されることになります。さらに点心、アヒルの丸焼き、ラクダのコブなどを用いた煮物が食卓に並びます。終わりには、魚の料理、スープ、お粥が順に供されます。
このようにツバメ、フカヒレ、豚の丸焼きをすべて含んでおり、満族形式と漢族形式を融合させた料理こそが、正式な満漢全席です。
清王朝の崩壊後、宮廷料理の満漢全席は途絶えてしまいましたが、現代において、このような食文化が見直され、その復元が進んでいます。日本でもいくつかの中国料理店で、イベントなどで満漢全席を再現しており、食べることができるようです。
満漢全席を食べていた時代や中国料理の歴史を振り返りながら、かつての清朝の栄華を味わってみてはいかがでしょうか。